集団面接バックレの誕生、そして栄光へ
バックレにも種類があることがおわかりいただけただろうか―
では、もうちど[Replay]
ザァーーー バックレ ザァーーー
こんどはスローにしてもう一度
ザァーーー バックレ ザァーーー
これはバックレによって死にいたったバックラーたちの
無念の声・・・だとでも言うのだろうか―
今回、私たちが取材におとずれたのは某パークキャストの
集団面接会場である。
ここはかつていまわしい集団面接バックレが行われた場所でもある。
集団バックレではない集団「面接」バックレである。
つまり、友人同士・集団で面接を希望しておきながら
会場にも、家からも一歩もでずに集団面接バックレを
はたしたものがちがいたのだ。
面接担当者に聞いてみよう。
取材班「どのようにバックレられたのですか?」
担当者「はい?」
取材班「なるほど、気付くこともできないうちにバックレられていた・・・ということですか?」
担当者「ご予約はおとりになりましたか?」
取材班「面接予約はとっていたけれど、来なかったのですね」
担当者「話し聞いてます?」
取材班「電話で会話し、面接をとりつけたがバックレたのですか~なるほどぉ」
おわかりのように集団面接バックレは面接場所へも行かずに
バックレる行為である。
集団面接バックレの概念が誕生する以前は、
いくらバックレるとは言っても面接を受けないのは
バックレ道にあらず、と非難されていた。
しかし、若手バックラーたちがこの集団面接バックレを体系付け、
実践・微調整をくわえながら芸術の域まで押し上げることに成功した。
これにより、戦中・戦後を生き抜いてきたバックラーレジェンドクラスも
納得。評議会にも認められ、バックレ行為と認められたのである。
私たちは忘れてはならない、先人の努力があったからこそ
集団面接バックレができることを。
なかには命を賭して臨んだ者たちがいることを―
ザァーーー バックレ ザァーーー
ザァーーー バックレ ザァーーー